2018年 02月 18日
旧ザクのように。 |
こんにちは。
突然ですが僕が物作りをするにあたって
突然ですが僕が物作りをするにあたって
最初に影響を受けた出来事です。
ぼくは小学生の時毎日プラモデルを作ってました。
時は1980年代初頭、僕が小学校3年の時
ぼくは小学生の時毎日プラモデルを作ってました。
時は1980年代初頭、僕が小学校3年の時
空前のガンプラ(ガンダムのプラモデル)
ブームが全国を襲来しました。
僕は二歳違いの兄とよくガンプラを買いに
ブームが全国を襲来しました。
僕は二歳違いの兄とよくガンプラを買いに
ニチイ(現在のイオン)にあった
コーヨーホビーという模型店に行ってました。
特に土曜日はガンプラの入荷日で兄より
コーヨーホビーという模型店に行ってました。
特に土曜日はガンプラの入荷日で兄より
早く学校が終わる僕はガンプラを
買いに行かされました。
兄のガンプラ熱はすぐに冷めましたが僕は
買いに行かされました。
兄のガンプラ熱はすぐに冷めましたが僕は
どんどんのめり込み気が付けば
学校から帰ってきてガンプラ作り、
学校から帰ってきてガンプラ作り、
夕食後また寝るまでガンプラ作りの日々。
学校の授業中もノートにガンプラの絵を描き、
学校の授業中もノートにガンプラの絵を描き、
一度作った模型をさらに改造し
何度も楽しみ、風呂にも持ち込み水中戦を
何度も楽しみ、風呂にも持ち込み水中戦を
楽しみました。
さらに近所の同学年の子供たちと
さらに近所の同学年の子供たちと
僕の作ったガンプラとまだ箱に入った新品の
ガンプラを交換したりもしました。
小遣いの全てをガンプラに注いでました。
将来の夢はコーヨーホビーの店員になること。
そんなある日僕にとって事件のような出来事が
ガンプラを交換したりもしました。
小遣いの全てをガンプラに注いでました。
将来の夢はコーヨーホビーの店員になること。
そんなある日僕にとって事件のような出来事が
ありました。
それはプラモデルコンテストが開催されている
それはプラモデルコンテストが開催されている
というニュースでした。
当時帯広市内には何軒も模型店があり
当時帯広市内には何軒も模型店があり
ニチイにはコーヨーホビー以外に
もう一店舗模型店がありどのお店も夏頃に
もう一店舗模型店がありどのお店も夏頃に
プラモデルコンテストを
開催していたのでした。
燃えました。
そして小学5年の夏、僕はコンテスト荒らしの
開催していたのでした。
燃えました。
そして小学5年の夏、僕はコンテスト荒らしの
ように色々な模型店に
出品しまくりました。
特にニチイのコーヨーホビーじゃないほうの
出品しまくりました。
特にニチイのコーヨーホビーじゃないほうの
模型店のコンテストは
その夏 市内一の規模の大きさで僕は一番力を
その夏 市内一の規模の大きさで僕は一番力を
入れた力作を出品しました。
「手のひらに操縦士を乗せたザク」というのを
「手のひらに操縦士を乗せたザク」というのを
ジオラマ(情景模型)で出品。
模型作りのテクニック本を買って勉強しました。
例えばウェザリングという技術があり模型に
模型作りのテクニック本を買って勉強しました。
例えばウェザリングという技術があり模型に
最初銀色の塗装をしたうえに
本来の色の塗装をし、その上から目の細かい
本来の色の塗装をし、その上から目の細かい
紙ヤスリでこするとうっすら
最初に塗った銀色の塗装が見えてきてまるで
最初に塗った銀色の塗装が見えてきてまるで
長い年月をかけて色が剥げて
鉄がむき出したようなリアルな感じが出ます。
そういった技を駆使し「俺のテクを見てくれ」
鉄がむき出したようなリアルな感じが出ます。
そういった技を駆使し「俺のテクを見てくれ」
という気持ちでした。
このコンテストはおぼろげな記憶ですが
このコンテストはおぼろげな記憶ですが
金賞(1名)、銀賞(2名)、
銅賞(3名)という基準で競われ出品者は
銅賞(3名)という基準で競われ出品者は
小学生の高学年から中学生が
中心だったような記憶です。
小5の僕はレベル的に銅賞に
中心だったような記憶です。
小5の僕はレベル的に銅賞に
引っかかればいいかな~という目標で
一番の関心は金賞は誰か!ということでした。
さすがに中学生の作品は僕にとっては
一番の関心は金賞は誰か!ということでした。
さすがに中学生の作品は僕にとっては
超技巧的でリアルでパフォーマンスに
とんだジオラマ系が多く当然それらの誰かが
とんだジオラマ系が多く当然それらの誰かが
金賞を獲ると予想しました。
そして結果発表の日。
僕は愕然としてしまいました。

(写真はその時のものではなくイメージです)
なんと金賞は一体の地味な「旧ザク」
そして結果発表の日。
僕は愕然としてしまいました。
(写真はその時のものではなくイメージです)
なんと金賞は一体の地味な「旧ザク」
だったのです。
「旧ザク」 それはガンダムシリーズの中でも
「ボール」、「ガンタンク」、「ホワイトベース」
「旧ザク」 それはガンダムシリーズの中でも
「ボール」、「ガンタンク」、「ホワイトベース」
に続く人気薄モデル。
しかし一見何の変哲もなく作られたそれは
しかし一見何の変哲もなく作られたそれは
よく見ると塗装にムラがなく
パーツとパーツを接着した所に全く”継ぎ目”も
パーツとパーツを接着した所に全く”継ぎ目”も
なく完璧な仕上がりでした。
僕は派手な技術ばかりに目を奪われて基本を
僕は派手な技術ばかりに目を奪われて基本を
見失っていました。
まさに旧ザクショック。 誰作ったんだろう。
僕のほうは目標通り銅賞を獲ることが
まさに旧ザクショック。 誰作ったんだろう。
僕のほうは目標通り銅賞を獲ることが
できましたが今思うと
あれはお店の人があまりに通い詰めて
あれはお店の人があまりに通い詰めて
質問をしてくる小学生の僕
に対する温情だったような気がします。
余談ですがその後薄め液(塗料用シンナー)
に対する温情だったような気がします。
余談ですがその後薄め液(塗料用シンナー)
臭い借家の自室でプラモデルを作り続ける
僕をみかねた父親に小6になる時
遂にというかとうとう
強制的にバスケット少年団に入れられました。
嫌々ながらやってみるとバスケの面白さに
強制的にバスケット少年団に入れられました。
嫌々ながらやってみるとバスケの面白さに
魅了され小6の夏以降は
ほとんど作らなくなりました。
時が流れ僕は大人になりふらっと入った
ほとんど作らなくなりました。
時が流れ僕は大人になりふらっと入った
模型店でよりリアルにブラッシュアップ
されて発売されていたガンプラを見てまた
されて発売されていたガンプラを見てまた
作りたくなり道具一式を揃えて
作ってみたことがありました。
でももうあの時のようなトキメキは得られず
作ってみたことがありました。
でももうあの時のようなトキメキは得られず
最後まで作ることすら出来ませんでした。
by lalibera
| 2018-02-18 19:05