2019年 07月 28日
ポルチーニ。 |
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by lalibera
| 2019-07-28 10:55
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2019年 06月 24日
前回の京都の時にふれた チェーザレについてお話したいと思います。 2005年春、僕はジェノヴァからピエモンテ州 少し経った頃チェーザレの話が耳に入ってきました。 山の上にある”マット”(風変りでクレイジー) ラリベラの店主マルコももうずいぶん前、 若いころから通っているらしいのです。 アルバに長く滞在している日本人の方からも チェーザレは絶対行くべきと薦められました。 ある時僕はマルコにお願いしてチェーザレに 連れて行ってもらいました。 アルバから車で30分、ぶどう畑の山を クネクネと上がって行った先にポツンと建つ 一軒家が”ダ チェーザレ”でした。 入口を入るとすぐに暖炉があり そこでパチパチと仔やぎが焼かれていました。 料理はおまかせ一本のみ。 今でも料理を覚えてます。 鴨とタマゴ茸のサラダ、オレンジと チェーザレヴィネガーの温かいソース。 ”ポルチーニ エ ぺスケ” (桃とポルチーニ茸) そして主菜は入口でパチパチと焼かれていた カプレット(仔やぎ)の暖炉焼き。 カミナリが落ちました。 これだ~!! 料理は一見素朴でシンプルな 郷土料理のようですが少し違う独特な世界観。 ただチェーザレ氏はちょっと変わった人物 らしくミシュランの調査員とケンカして 一つ星を固辞したとか、店の入り口に 「犬とミシュランの調査員はお断り」と 書いてあるとか本当かウソか分からないような 噂があるのが”マット”と言われる所以 なのでしょうか。 当時の西洋料理界の動向は 2000年頃からスペインの”エルブジ” に代表される科学的,革新的な料理が 台頭してきた時期でした。 僕はそういう料理にも興味があり そういうお店でも修業させてもらいましたが 自分には合わないと実感。 チェーザレの料理はそれとは真逆で 牧歌的でなんていうか素朴な郷土料理に 変な言い方ですが少し魔法が かかったような料理なんです。 この頃の僕は日本に帰ったらどうしよう? ということをよく考えるようになってました。 どんな小さくてもよいから自分の店を 持ちたいと思ってました。 イタリア人の地元を愛する郷土愛にも触れ 僕もやるなら故郷である帯広市で イタリア料理店をと決めていました。 どうやろう? 僕はよくその時のためのメニューを 書いてましたが何か常に違和感を感じていました。 それは今までイタリアで働いた5軒のお店の いいところ取りをしたようなメニュー だったからです。 芯というか核がない。 イタリア料理って何だろう? それを知りたくて渡伊したはずでした。 僕はチェーザレでイタリア料理という大きな木の 根本を見たような気がしました。 目指すべき方向性を示してくれました。 チェーザレに食事に行ったのは3回。 修業してたわけではありませんが 僕が店をやるにあたって大きな 拠り所になる特別な一軒です。 永田さんからいただいた チェーザレヴィネガー! もったいなくて使えない。 #
by lalibera
| 2019-06-24 15:09
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2019年 06月 10日
こんにちは。
今回の京都、僕にとって最大の目的は祇園にある イタリア料理店 「リストランテ デイ カッチャトーリ」
に行くことでした。 店主の永田さんは8年間のイタリア修業を経て 2008年に京都で独立。 永田さんとはイタリアで料理修業 していた時に出会いました。 北イタリアはピエモンテ州のアルバにある ラリベラで僕が働いていた時に永田さん はお客としてもよく来てくれました。 その時永田さんはミラノにある クラッコペックというお店で働いて いましたがその前はアルバ近郊の 山の上にある「リストランテ ダ チェーザレ」 (以下チェーザレ) というお店で5年間働いていて 僕にとって永田さんは ”チェーザレにいた日本人!” でした。 (チェーザレについてはまた別の機会でご説明 させていただきます) チェーザレは僕がイタリアで最も影響を受けた お店の一つで永田さんは8年間の イタリア修業のうち5年間をチェーザレで 過ごしました。 料理もチェーザレで学んだことを大切に 守り続けてきたという感じ。 しかも10年以上。 これは本当に本当に凄いことだと思います。 ニーノヴェルジェーゼ風。 リグーリア州、ピエモンテ州定番の温かい前菜。 セモリーノ(セモリナ粉を牛乳でといて揚げたもの)も。 明石鯛のソテー サルサヴェルデと 予約の時にお願いして作ってもらいました。 じゃがいものニョッキ 浅利のトマトソース (ちょっと食べかけてしまいました) 絵描きでもあるチェーザレが描いた絵をバックに。 永田さんは寡黙で芯がある人という印象。 イタリア語も堪能というか静かにボソボソっと しゃべる感じが妙にイタリアに溶け込んでる 様子を醸し出していました。 僕が見たかったのは自分にはないイタリア滞在8年 という長い歳月からにじみ出るもの。 店内は質素ながらも白いテーブルクロスを きちんとひいた凛としたしつらえ。 僕はイタリアでテーブルクロスというのは 日本でいう畳なんだなと感じました。 料理も店づくりも永田さんが変身した姿だった。 それがこの京都という古都にしっくりと調和 してるように思えました。 #
by lalibera
| 2019-06-10 13:38
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